
だーれもいない山奥で1本の木が轟音と共に倒れた。
だーれもいない山奥だ。当然、その音を聞くものは誰もいない。
その時、その音は存在するのか?
その音、その木になってみたかったのです
「くそぅ、先週と状況が同じじゃねーか」
うららかな陽気の太郎山山頂でそう独りごちていた。
という訳で、今週もしゃかりきに山頂書店を開店したのだった。


が、来店者がない。山頂には人がいるというのに。。。
となると、いつものパターンで「何故自分はこんな事をしているのか?」という自問自答が始まる。
で、冒頭の「聞く者がいない奥山で木が倒れる、その音は存在するのか」に話が繋がるのである。
これは古典的な哲学の小噺で私は大好きなのだ。木だし、山奥だし。
この哲学的小噺を考えるにつけ、だんだん木やその音に自分がなってみたら、どんな気持ちになるのだろうと思うようになったのだ。
そんな想いがたぶん私をして、山頂本屋を開かしめたのではないか。
…と睨んでいるがどうなのだろうか。
山頂で本屋をやってると、当然だけど人がいない。
人がいないけど、私としては「本屋なんです、開いているんです」と気張っている訳で、その時私は奥山の木なり、倒れる音と同じなんじゃないかと思う。
とても不思議な気持ちがするものである。
この気持ちについて、是非とも他の人間と語らいたいと思うのだが、山頂書店業界の後進がなかなか現れないのでもどかしい。
ああ、語りたい。

で、やっぱり、さっぱり人が来ない…
そんなような事を考えながら、
面出しする本を入れ替えたり、
本を並べなおしてみたり、
立ち読みをしてお客を装ってしてみたり、
お客さんが来やすいように工夫を惜しまないのだ。
が、来ない。
陽気もいいことだし、寝転がる。
ふて寝するのだ。
好きな本の話ができた、それでいい。
「お、宇宙船とカヌーだ!!へぇ~、ほぉ~」
お客さんだ!!しかも「宇宙船とカヌー」に関心があるなんて!!!

超いい。超いい本。
「これ、NHKで番組やってたよね、本人も出演してた」とお客さん。
「ほぉ、そうなんすか、うちTVないから知らなかったっす」と私。
「あ、そうなんだ。でも、これ、いいよね」とお客さん。
「いいですよねぇ、最近ヤマケイ文庫で復刊されたみたいっすよ。それはちくま文庫のだけど」と私。
「あ、ヤマケイで?そうなんだ。でも、ちくま文庫の、まさしくこれ持ってるんだよね」とお客さん。
「おお、そうですか」とちょっぴりトーンの下がる私。
結局、お客さんは何も買っていかなかったけれども「宇宙船とカヌー」の話が出来たことが私は嬉しかった。
それ以降お客さんは訪れず、15時で山頂をあとにした。
山頂で、たまたま行き会った人と、好きな本の話ができた。
なんだか、そんなんでふくふくした気持ちになれるのだ、人は。
本が売れなくとも、そんな事が報酬になるものなのですなぁ。
おしまい。