
空前にして絶後の辞書ブームが到来しています。
主に俺に。つまりマイブーム。
そのブームの中で辞書を使った遊びを何個か思いついたのでした。
「こりゃぁ、俺の一人遊びにとどめ置くにはあまりに面白い!!」
…と思った俺は畏れ多くも天下の県立長野図書館で『辞書フェス』を敢行するという暴挙に及んでしまったのです、先週の5月26日に。

どれだけふざけていい場所なのか、まだ未知数である。
そのような訳で辞書フェス開始2時間前に会場である県立長野図書館3F「信州・学び創造ラボ」で本棚を担いでたどり着いたのでした。
さっそく企画を手伝ってくれた図書館スタッフさんと事前にお誘いしていた参加者さんとフェスで使う辞書を発掘しにいきます。


あらかじめピックアップしてくれた辞書たち。神々しい。
そんな「辞書選びツアー」が実はひそやかに行われていたのです。じつは。
辞書をキャーキャー言いながら選んでく作業もかなり面白いのでこれだけでのツアーも今後開催してみてもいいのかなと思いました。

辞書フェス、静かに始まる。
さて、気になる参加者さんですが私含めで8名様。
野外のロックフェスと比べるとかなりショボい動員数ですが、熱量と質量で勝負です。それなら負けねぇ。
そのような訳で静々としっとりとフェスは始まりました。
今回は2部構成。
第一部は「辞書を読む読書会」、第二部は「神の作文」です。
まずは第一部「辞書を読む読書会」。
一つの言葉を様々な辞書で引き、その辞書ごとの語義、解釈の違いを味わう。
それが「辞書を読む読書会」であります。
辞書は当然ながらそれを編纂した人がいるわけで、言葉の解釈は編纂者によるわけです。しかし、我々はその単純な事実を忘れがちです。
何故か?
たいてい辞書なんて一冊あれば十分だからです。故に我々は一つの言葉の語義を手持ちの一冊の辞書のそれに依ってしまう。
つまり手持ちの一冊の辞書を絶対化してしまうのです。
前述した通り、辞書はある人間によって編纂されたものです。つまりある人間の解釈の塊とも言える。編纂者はその辞書における神として君臨していると言ってもいいのです。
そして世の中には実に様々な辞書が存在します。
多神なのであります、辞書界は。
つまり、辞書を読み比べるというのは神と神のせめぎ合いを目の当たりにするという事なのです。それは実に楽しい作業です。

「右」「大人」「気」「今」「罪」「カレーライス」の6語。
90分、読書会は行われました。その結果調べられたのは6語。
「右」の語義説明の多彩さに驚き、
「大人」の小学生向け辞書の語義にハッとさせられ、
「罪」は人にしか適用されない概念であると知ったり。
数多くの発見・気付きが参加者にもたらされました。
実に興味深い、実に面白い。
第二部「神の作文」
もっと調べてぇ…私以外の参加者さんの心の声が聞こえてくる中、
第二部「神の作文」を始めることにしました。
企画タイトルのおかげで参加者さん全員一様に引き気味です。
わかっちゃいたけどアウェー感…
私はめげずに「神の作文」のルール説明を試みました。

今回は使わなかったけど『てにをは連想表現辞典』
『てにをは辞典』という一風変わった辞書があります。
どんな辞書かと言うと、普通の国語辞典の「用例」だけを集めた辞書です。
例として下の写真をご覧ください↓

「死んでも”一緒に”なるのはいや」
【一緒】という言葉にくっつく言葉が羅列してあります。
『てにをは辞典』ではこのような語を「結合語」と定義しています。
「後生だから”一緒に”来てくれ」
「死んでも”一緒に”なるのはいや」
こんな表現が連続で載っている事があり編者の意図が垣間見え、面白いのです。
私はある時、この言葉たちをランダムで拾って文章をつくったらどうなるのだろうと思ったのです。

色で千、百、十、一と振り分けます。
これだと「1242ページ」という啓示が下った、という事です。
そのような訳でして、サイコロ(という神)が引くページを無作為に決めて、
我々人間はサイコロ(という神)に指示されたページの結合語を拾い集め、
その結果、誰が書くともなく作文されていく。そのような遊びです。

最初、引き気味だった参加者さんたちは無作為という神の創造の狂気に触れるにつけ、爆笑に次ぐ爆笑。
前後の文脈などという人間規格に神は一切乱されないのです。
神は粛々と作文を進めていきました。
その作為なき筆運びに我々参加者は圧倒され続けました。
そして、なんとか神の意図を、文意を知ろうと「解釈」を始めるのです。
意味なんて、多分ないだろうに…
でも、我々人間は意味付けせずにいられないのです。
それでは神と我々が書き上げた3つの作品を紹介してみましょう。
1周目の作品↓
希望のない位置に封じ込める
肝心のものを入れ忘れる
車の性能差が歴然と出る
想定を打ち消す
現行犯で逮捕する
皆の気持ちがまとまる
近郊を散歩する
『てにをは辞典』神
2周目の作品↓
顔馴染みの集まり
子供の甲高い叫びが耳に刺さる
流石に我慢できない
三流の地位に甘んじる
いちいちかまっている暇はない
香煙が立ちのぼる祭壇
地場産業に金がいみ落ちる
『てにをは辞典』神
3周目の作品↓
意味ありげな捨て台詞
毛が生え替わる
こてんこてんにやっつける
白湯を味わう
色摩を野放しにする
井戸端会議にうつつをぬかす
給与が上がる
『てにをは辞典』神
ある参加者は「シティハンター」として読めるのではないか?と言い、
ある参加者はこの脈絡のなさはすべて夢ではないかと言い、「夢落ち」という物語の手法の便利さに改めて気付いたり、
ある参加者は「ゲゲゲの鬼太郎」を見出だし、
ある参加者は「サザエさん」を見出したりしました。
我々人間は文脈を設定せずにはいられない、行間を読まずにはいられない。
我々人間が如何に「意味付け/解釈」せずにはいらない生き物であるか、
「意味付け/解釈」の力が如何に強く駆動しているか、
そういうことが『神の作文』をしてみるととてもよくわかります。
しかしながら、この面白さ、私の貧弱な筆力では伝えるのは非常に困難です。
幸いにして今回のフェス、参加者さんには好評を頂けたようなので『辞書フェス』次回開催がゆるやかに決定しました。
開催時期は未定なれど、次回開催をぜひお楽しみ!!
待て、次回!!!
おしまい。