松川村辞書フェスティバルのこと。

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辞書フェスティバルとは?

日頃の辞書への感謝を捧げるお祭りです。

また辞書の新たな楽しみ方、辞書を愛でる心、辞書への慈しみの心を普及啓蒙するものです。

1人来てくれたら成功としましょう

未だ冷めやらぬ辞書ブーム(私の)。

県立長野図書館での「辞書フェス」に飽き足らず、

オファーをもらったのをいいことに松川村図書館で「松川村辞書フェスティバル」として開催する機会を頂いた。大変にありがたいことである。

松川村図書館の棟田カンチョーと事前の打ち合わせで私には集客力は皆無であり、参加者数はまぁ絶望的に望めないことを確認した。

最悪、私と棟田カンチョーの2人で辞書遊びすることも厭わないことを確認し、その上で、私と棟田カンチョーは今回の目標の参加者数を「1名」としたのである。

理解があって、大変にありがたいことである。

そうして迎えたフェスティバル当日。

にぎにぎしい!!
私のイベントとは思えない、たくさんの参加者さん。

参加者は…なんと11名!!もちろん私と棟田カンチョーをのぞいて11名だ。

目標達成率1100%である。

ありがたいことである。

第一部:辞書を読む読書会

…という事で、まさかの参加者数を気をよくした私は意気揚々と辞書フェスティバルの開祭を高らかに宣言したのである。

まずは『辞書を読む読書会』。

皆で自己紹介と辞書紹介をして、いよいよスタート。

新明解国語辞典、明鏡国語辞典、例解国語辞典、広辞苑、言海、日本国語大辞典精選版、大辞林(すいません、これしか思い出せませんでした)などが今回の参加辞書。

これらの辞書で同じ言葉を引き比べ、辞書ごとの解釈を味わう。

それが『辞書を読む読書会』である。

「凡人」「混沌」「大福」「右」「ももいろ」を調べた。

開口一番、いきなり参加者をどよめかせたのは新解さんの「凡人」の語釈。

【凡人】

自らを高める努力を怠っている功名心を持ち合わせず、

他に対する影響力が皆無の人

新明解国語辞典 第六版

さすがのキレである。

このように新明解(新解さん)の独特の語釈に皆はハッとしたり、日本国語大辞典(日国さん)の重厚さ、明鏡のあっさりさなど。

辞書ごとに個性を堪能することができた。やはり辞書は最低でも2冊以上は持ちたいものである。

第二部:初めての日国さん

『辞書を読む読書会』が辞書ごとの違いという水平方向の遊びだとしたら、

第二部の『初めの日国さん』は垂直方向の遊びである。

垂直方向、つまり歴史である。

その言葉の歴史。その言葉がいつ頃から使われだしたのか、正確な所は誰にもわからない。

が、書物に残っているものならば、最古の用例にはたどり着ける。そこに着目し、並々ならぬ執着を示し、実際にやってのけているのが「日本国語大辞典」。最古の用例採集の鬼なのである。その出典の年代も書いてくれているのである。

通称「日国さん」。

この「最古の用例」をその言葉の「初めて」と仮定する。その言葉がいつ頃から使われたのか、それを予想し遊んでみようというのが『初めの日国さん』という遊びである。

ただ予想したのでは面白くないので今回はお菓子を掛けることにした。

年表を用意して、その言葉の最古の出典の年代の位置にお菓子を置く。

正解に一番近い年代に賭けた人がお菓子を総どりできるという仕組みである。

まず我々が調べたのが「ぼいん」であった。ノリでそうなった。

「ぼいん」、主に女性の乳房が豊かであることを指す言葉である。

果たして、この「ぼいん」が初めて書物に出てきたのはいつなのか?

正解は「1968年」。

バスト百二十センチの超ボイン・グラマー

秘密指令/大藪春彦

満面の笑み。
ルマンドがうらやましい。

「くやしい」は710年。

「辞書」は1855~1858年。

「森」は8世紀後半。

「手ぬぐい」は1597年。

私は一つも勝てなかった。。。
どっさりお菓子。
うらやましい。

普段、自分が何気なく使っている言葉たち。その言葉たち、そのそれぞれの始原を仮にでも考えてみるのは何だか楽しいことでありました。

またやろう。ルマンド食べたいし。

第三部:神の作文

そして、祭りはいよいよ佳境の第三部へ。

第三部の主役は三省堂の「てにをは辞典」である。

てにをは辞典&てにをは連想表現辞典。
読みだすととまらないアブナイ辞書である。

『神の作文』という一聴すると怪しげな感じがしてしまうのか、なかなか説明がしづらい遊びである。

「てにをは辞典」という言葉と言葉のくっつき方に着目した辞書があるのである。例えば「お姉さん」という言葉をこの辞書で引くと、「お姉さん」にくっついてきやすい表現が載っているのだ。

引くと「お姉さんを崇拝する」と載っている、という具合だ。

この前後の文脈が全くない状態で放り込まれてくる感じがとても想像力を刺激するのである。

「神の作文」は10面体サイコロを振り出たページの面白いと思った「一文」を紙に書きだして、繋げていくというものだ。

位ごとに色を決めておく。

サイコロなので出るページはランダム、どんな「一文」を選び取るかはその人のセンスによる。

病人がお陀仏になる

締め付けが甘い

快感がひそむ

是が非でも逢いたくてたまらない

停留所に並ぶ

悔恨をいだく

くるぶしの筋が攣る

さっぱりとした下着をつける

印を書き込む

辛辣な嘲笑

自分の分をたいらげる

松川村辞書フェスティバル『神の作文』/神と参加者一同

という文章が書きあがった。ある種の神の啓示であろう。

この啓示の解釈をあーでもない、こーでもないとどうにか意味のあるようにしようと右往左往するのがこの遊びの醍醐味なのだ。

驚くことにこんなデタラメな文章なのに何とかして物語をでっち上げることができるのだ。非常に面白い。

が、この面白さは悲しいかな、目の前で文章が作文されていく場に居合わせないとどうしても伝わらないらしい。

この記事を読んで、興味を持たられた方は是非試してみて欲しい。なんなら私を呼んでいただいてもいい。面白いのであるよ、本当に。

辞書って本当に素晴らしい。

という訳で、たっぷり3時間近く辞書だけで遊んだのであった。

辞書を引くだけ、もしくはサイコロ振って辞書を引く。

たったこれだけで大の大人が3時間、笑いっぱなしで過ごせるのだ。

辞書は偉大である。

辞書フェスティバル、次はどこぞで開催されるのだろうか。

おしまい。

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